きりしま食の道10カ条ブログ

-9- 駅弁で語り継ぐ霧島の100年

この地に生きる人の声に耳を傾ける
「もう一つの道」

遠くにあるもの、多くの人間が集まる場所が輝き、そこで競い勝つこと、人より優れていることで「幸せ」と感じる人の心理。

霧島でも、もっと効率よく、もっと便利にと都市化をめざし、この地に生きる人たちが連綿と紡いできた「在来の文化」は軽んじられ、特にその地域独自の生活文化・食文化は失われつつある。この地に生まれた子どもも都市社会の一員となるべく、経済発展をめざす道への教育を受けてきた。

しかし、時代は行き詰まり、都会も農村も家庭や個人も孤立し、その地で生きる喜びを感じにくくなった。失ったものは取り戻すことはできないが、もう一度自分の足元にあるものを見つめなおすことはできないか。改めて丁寧に見つめることで、「もう一つの道」を探していきたい。

このブログでは生きる源である食を中心に置き、「きりしま食の道10カ条」のテーマごとに、霧島に生きる人々の声に耳を傾け、その学びの中から、今を生きる私たちの拠りどころを見つけていきたい。


今回は、「きりしま食の道10カ条」の第9条である「霧島人として、思いやりとまごころで、霧島でしか味わえない食の記憶を贈ろう」をテーマに考える。
【目次】
・インタビュー 「駅弁で語り継ぐ霧島の100年」 森の弁当やまだ屋 山田まゆみさん(隼人町)
・霧島の食と器 「がね」


きりしま食の道 第9条
−霧島人として、思いやりとまごころで、霧島でしか味わえない食の記憶を贈ろう−

「駅弁で語り継ぐ霧島の100年」
     森の弁当やまだ屋 山田まゆみさん(隼人町)

取材・文  千葉しのぶ

掛け紙から始まる物語

霧島には、今や全国から注目される弁当がある。
セピア色の駅舎が写る掛け紙は、竹状の紐で斜め掛けされ、ほどくときから、なぜか懐かしさでいっぱいになる。竹皮製の弁当箱の蓋を開けると、「がね」と呼ばれる、せん切りさつまいもの揚げ物が存在感を誇り、炊き込みご飯の上のたけのこと椎茸の甘煮に目が奪われる。添えられたおかずもいっぱい。スセといわれるナマスに、コロッケ、切干大根やこんにゃくの入った春巻きなど霧島の素材が煮物、揚げ物、あえ物にと姿を変えている。

喜びが染み出す味

何から食べようかと迷うが、まずは、がねにかぶりつく。「ああこの味」と思わずうなってしまった。さつま芋の甘さ、ホックリとした食感、小麦粉の衣には生姜も入り、甘さの中にピリッとしたアクセントになっている。何より菜種油の風味が際立ち衣の香ばしさが絶品。

次は椎茸の甘煮、3つも入っていてうれしい。まずは、一つ目を口に含むと口中に椎茸の旨みと共にあまからい汁がじゅわっと染みだす。霧島産の椎茸は程よい大きさで肉厚。丁寧な調理で味は絶妙なバランスだ。

駅弁という小さな旅

炊き込みご飯とおかずを交互に食べて、一粒残らず食べ終えたとき、なんだか短い旅をしたように感じた。それは子どものころ祖母の家を訪ねた時のような、または遠くの旅行先から霧島への帰り道のような、懐かしさや安心感に満ちた時間を与えてくれた。まさに霧島でしか味わえない食であり、自分の中の故郷を思い起こしてくれるひと時だった。

この弁当は、JR九州の駅弁ランキングで3年連続1位に選ばれた「100年の旅物語 かれい川」。鹿児島県最古の木造駅舎であるJR肥薩線・嘉例川駅で販売された。

家族の食を支える日々

この弁当を考案し、製造・販売する「森の弁当 やまだや」の山田まゆみさんを隼人町小田のご自宅に訪ねた。
山田さんは国分上井うわいの出身。自宅は山間地にあり、今は廃校となった国分東小学校に山の中をたった一人で片道1時間歩いて通ったとのこと。父母は仕事で忙しく、小学3年生からは毎朝500円渡され、夕食の食材の買い物を任されていた。学校からの帰り道、学校近くの商店で、安くてもおいしいものを選ぼうと一生懸命考えて買い物。その中で、野菜や肉、魚の旬や選び方を体得していったそう。また、そのころから羽釜でご飯を炊いたり、みそ汁を作ったりと家族の食卓を支えた。二人の弟にも、おやつとして、じゃが芋や里芋の天ぷらを作った。「大きい芋はご飯のおかず用なので、小さいものを選んで使ったのよ」と山田さんは笑う。その後、結婚するまで、食で家族を支える日々が続いた。

移動販売で支える地域の食

結婚後、二人の子どもを育てながら、市内の小学校に用務員として勤務するようになった。休み時間の先生方にと、手作りのお菓子や漬物、料理をふるまったところ、大好評。ますます料理の腕が磨かれた。その後、給食センター勤務などを経て、2002年惣菜作りの仕事をスタートさせた。地元の旬の食材を使ったおかずなどを30種ほど作り、隼人の浜の市や介護施設・役場・企業などへ移動販売を行った。

100年前の旅人の弁当を再現

その中、転機が訪れた。2004年2月、翌月に控えた九州新幹線鹿児島ルートの開通に合わせ、嘉例川駅で販売する弁当を妙見温泉振興会が募集するという。「嘉例川駅の駅舎に合う弁当を作って欲しい」と関係者に勧められて山田さんが考えたのは100年前も旅人が食べていたような弁当。「食材も地元のもので、地元の人が食べ慣れている味がいいかなと思って」「たけのこ、椎茸の炊き込みご飯は母の味、がねは近所のおばさん方の味付けが基本なんです」と山田さん。

心底おいしいと思えるもの

販売前の試食会では、派手な見栄えや特別な高級素材を使った弁当を想像していた関係者の中から、一見質素に見える山田さんの弁当に「こげな弁当を・・・」との声も聞かれた。しかし「黒豚や牛肉を使えば豪華には見えるが、自分の身の丈に合った仕事、自分が心底おいしいと思えるものを作りたい」と山田さんは心を定めるのだった。掛け紙や紐にもこだわり、「100年の旅物語 かれい川」弁当を完成させた。

駅弁ランキングでの快挙

いよいよ販売初日、山田さんの弁当はあっという間に完売。大きな反響を得て、当初は開業イベントだけにと思っていたものの、同年4月より週末のみ嘉例川駅での定期的な販売を開始した。しかし、当初はなかなか売れない日々が続いた。それでも、手伝ってくれていた友人と励ましあいながら駅構内に立ち続けた。そんな中、JRの乗務員の口コミなどもあり、特急はやとの風の車内でも販売されるようになる。そのころより徐々に売れ行きが向上し、初めて参加したJR九州の駅弁ランキングで4位を獲得。その後3位2位と年々ランクをあげ、ついに4年目となる2007年に、1位を獲得するのだった。

苦悩の中の決意

1位になり有名弁当の仲間入りをしたことで、全国にその名が知られることとなった。その中、心無い中傷も受け思い悩んだこともあった。しかし、山田さんの「地元の農家さんが大事に作ってくれた野菜や椎茸を使い、母や地元の味をこの弁当に込める」という思いは揺らぐことはなかった。今も、家族3人で早朝から自宅に隣接する調理施設でがねを揚げ、椎茸を煮て、炊き込みご飯を炊き、弁当を作っている。

山田さんの道

「地元の農家さんが心を込めて作った野菜や椎茸を使っているので、1位になった時は、その人たちまで褒められたようでうれしかったですね」「20食作っても100食作っても、お客様が手にするのは1個。常に1個の弁当を手にするお客様のために、心を込めて作ることを大切にしています」という山田さんの言葉は、力強く温かい。今では観光客ばかりでなく、地元住民もお客さんや友人にと求めるようになった「100年の旅物語 かれい川」。一個の弁当が、霧島の思いやりとまごころを伸びやかに伝えてくれている。

山田さんのえらんだ道は、「霧島の食で思いやりとまごころを伝え続ける道」だと思う。


霧島の食と器

がね

山田さんに揚げていただいた「がね」を国分名波の朱里窯の絵付け皿に盛った。
「がね」とは鹿児島では「カニ」の意味。さつまいもなど細く切り、小麦粉に砂糖を加えた衣で横長になるように揚げる。油は菜種油が良い。香り良く、カラリと仕上がる。

そして、朱里窯はオリシジナルの粘土を使用し、鉄絵のみの絵付け。料理の邪魔にならないシンプルな器でありながら温かい作風に定評がある。



朱里窯
〒899-4311 鹿児島県霧島市国分名波町18-10-1
電話:0995-47-7363

取材・文
千葉しのぶ
NPO法人霧島食育研究会理事長、「植え方から食べ方まで」を実践する霧島里山自然学校、郷土料理伝承教室、「霧島・食の文化祭」を開催。鹿児島女子短期大学准教授を経て令和2年「千葉しのぶ鹿児島食文化スタジオ」を設立。管理栄養士

撮影
吉国明彦・吉国あかね(エンガワスタジオ)
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