きりしま食の道10カ条ブログ

-7- 霧島を表現する焼酎造りに挑む

この地に生きる人の声に耳を傾ける
「もう一つの道」

遠くにあるもの、多くの人間が集まる場所が輝き、そこで競い勝つこと、人より優れていることで「幸せ」と感じる人の心理。

霧島でも、もっと効率よく、もっと便利にと都市化をめざし、この地に生きる人たちが連綿と紡いできた「在来の文化」は軽んじられ、特にその地域独自の生活文化・食文化は失われつつある。この地に生まれた子どもも都市社会の一員となるべく、経済発展をめざす道への教育を受けてきた。

しかし、時代は行き詰まり、都会も農村も家庭や個人も孤立し、その地で生きる喜びを感じにくくなった。失ったものは取り戻すことはできないが、もう一度自分の足元にあるものを見つめなおすことはできないか。改めて丁寧に見つめることで、「もう一つの道」を探していきたい。

このブログでは生きる源である食を中心に置き、「きりしま食の道10カ条」のテーマごとに、霧島に生きる人々の声に耳を傾け、その学びの中から、今を生きる私たちの拠りどころを見つけていきたい。


今回は、「きりしま食の道10カ条」の第7条である「霧島の食を育む山、川、里、海を大切にし、命の循環を守り続けよう」をテーマに考える。

【目次】
・インタビュー 「霧島を表現する焼酎造りに挑む」 中村 慎弥さん
・霧島の食と器 「鶏のごてやき」と「美の匠 ガラス工房 弟子丸 “薩摩切子の猪口”」


きりしま食の道 第7条
−霧島の食を育む山、川、里、海を大切にし、命の循環を守り続けよう−

「霧島を表現する焼酎造りに挑む」
        中村慎弥さん(国分)

取材・文  千葉しのぶ

「だれやめ」の焼酎文化

「だれやめ」という文化が鹿児島にある。
一日の疲れをとるゆっくりとした時間。

手の平の中には、焼酎を好みの加減でお湯や水で割ったコップがあり、小皿には生豆腐や、季節の野菜。一人一人が自分のペースで過ごす、そんなひと時を楽しみに、大人は日々働き、暮らしを創る。焼酎を口に含みながら、今日はうまくいった、つらいことがあった、悔しいことがあった、と焼酎に話しかける。

焼酎はここで生きる人々の疲れをいやし、苦しい時も嬉しい時も、その時々の人の心にそっと寄り添い、明日も頑張れと、背中を押してくれる。
焼酎は人生の隠れた伴走者かもしれぬ。

 

「なかむら」に使われる麹米は、霧島の契約農家から仕入れるカルゲン農法のヒノヒカリを使用

薩摩焼酎の由来

さて、鹿児島県産のさつまいもを原料とした薩摩焼酎は、恵まれた気候と伝統的な技術から生まれた本格焼酎である。その由来について触れたい。

伊佐市にある郡山八幡神社には焼酎に関わるある記録が残されている。1559年修理の際の大工が「施工主がケチで焼酎も出してくれなかった」と書き残した落書きだ。このことより当時、焼酎がかなりの人の口に入っていたと想像できるのだ。しかし、そのころの焼酎の原料は米、きびひえであったと思われる。

では、いつから焼酎造りにさつまいもが登場するだろうか。明確な資料はないものの、さつまいもの伝来については様々な説がある。有力なのは、1705年、山川の前田利右衛門が琉球からさつまいもを持ち帰り、鹿児島本土で栽培が始まったという説である。
鹿児島の土地の多くは、火山性の土壌であり、約2万9千年前の姶良カルデラの大噴火で高温の火砕流が鹿児島中に広がり、やがてシラス台地になった。シラス台地は米などの穀類の栽培には適さなかったが、さつまいもはよく育った。

そしてここに暮らす人々はさつまいもを主食とすると共に、さつまいもを原料とした焼酎を作りはじめた。やがて「芋焼酎」と呼ばれ、大衆の心を捉えていくのだった。

中村酒造場の若き杜氏

中村酒造場6代目 中村慎弥さん(取締役杜氏)

その後300年を経て、幾たびかのブームを経験しながら、鹿児島には確固たる信念とたゆまぬ努力で独自の焼酎を追求し続ける、個性的な蔵元が多く存在している。

その中の一つ、霧島市国分の中村酒造場に突出した発信力と魅力ある感性で邁進しつづける一人の若き杜氏とうじがいる。

その人中村慎弥さんを訪ね、中村さんが歩いてきたこれまでと、霧島の風土を生かした焼酎造りに挑む、これからの道の行方、思いを聞いた。

将来を描けぬ日々

国分湊の国分平野の民家の中に突如と現れるレンガ作りの中村酒造場。1888年の創業で「玉露」「なかむら」など現在7種類の芋焼酎を製造している。

中村さんは1986年生まれの35歳(2021年8月現在)、3人きょうだいの末っ子で、小さい頃は4歳上の兄と一緒に虫取りをしたり、体を動かすのが大好き。小学校から始めたサッカーでは、中学で全国大会に出場し3位の成績を収めた。

しかし、高校入学後は「サッカーに挫折し、勉強にも身が入らなかった。ひねくれていましたね」と中村さん。ちょうど2000年前後の焼酎ブームで、「なかむら」はプレミアム焼酎として人気に火が付いた時期だった。手間暇かけてコツコツ作ってきた小さな酒蔵に光が当たって嬉しかった。しかし、家業の手伝いをすることもないし、親から「継いでほしい」と言われたこともなかった。働く両親の姿を横目で見ながらも、自分の将来への明確な目標がまだ見つかっていなかった。

未来を築いた言葉

そんな時、兄から言われた一言がその後の人生を変えた。

「ウチは小さな蔵だけど、この蔵だからこそ出来る焼酎の価値を世界に広めていきたいと思う。おれは経営の勉強をするから、お前は焼酎造りをしてくれないか」

中村さんは、これまでは敢えて自分の生きる道と焼酎造りの道は別々だと思っていた。しかし、「本当に自分がしたいことは『誰かに喜んでもらえる仕事』そしてそれは自分の一番身近な存在である家族。その家族と共に行う焼酎造りだったのだと気づき、これからの目標と行動がぴたっとはまった気がした」と中村さんは振り返る。

その後、兄は新たな目標を見つけ二人はそれぞれ別の道へ。今でも仕事やプライベートの相談をするほど仲は良いという。

 

創業当時より130年以上使用している和甕、使用する水は霧島山系の伏流水

何者かになって帰ると決めて

そこから、物事が進み始めた。東京農業大学醸造科学科へ進学し、酒造りを科学的に学んだ。卒業後はすぐに実家で働こうと考えていた。両親も喜んでくれると思っていた。

しかし、「帰ろうと思う」という中村さんの言葉に、母が発したのは意外な言葉だった。「あなたはまだ何者でもない。外でしっかり鍛えてもらって、何者かになってから帰って来なさい」。その時、中村さんの心に「大きなスイッチが入った」という。

思いのバトンをつなぐ

まずは、山形の日本酒蔵で醸造酒造りに取り組んだ。そこで理論だけでなく、現場で働くことの難しさと面白さを学んだ。
その後大阪で酒の流通に関わった。営業・荷下ろし・対面販売と作業は広範囲にわたり激務を極める。しかし、モノ作りとは、出荷で終わるのではなく、その思いをバトンのように、作り手から売り手、さらに買い手と渡し続けることで、本当に質の高い良い商品をお客さんに届けることができると確信した。

思いを込めたモノ作りの醍醐味を味わうことができた武者修行の4年間だった。

そして、2012年春、霧島に帰ってきた。

霧島を表現する焼酎とは

全量手造り仕込み。まろやかで味わい深い焼酎に仕上げるために欠かせない製法である

いよいよ家業と正面から向き合う日々となった。
しかし「さらに地獄が始まりました」中村さんが苦笑する。
「大学で科学的な知識を得ても、日本酒造りの経験を経ても、焼酎の現場は勝手が違うんです」

師匠の上堂薗かみどうぞの杜氏は手取り足取り教えるタイプではなかった。伝える言葉も感覚的で、その時の中村さんには何が正しくて何が違うのか、わからないことも多く、自信が持てない日々を過ごした。
しかし、迷いの中で常に自分に「自分が飲んで感動できる焼酎はどんな焼酎か」と問いかけるようになったという。そして出た答えは「霧島を表現できる焼酎」。

行き着くのは霧島の水と土だった。霧島の山で育まれた水、その水は川となり、人の手によって水路から田畑へ。そこで、栽培された米やサツマイモが、そこで生きる人々の手により、人の思いや体を優しく包み込む焼酎になる。その自然と人の命の循環を感じられる焼酎を造りたい。

感性を磨き上げる努力

そのためには、杜氏としても技術と感性の磨き上げが欠かせないという。「杜氏の仕事は食材と向き合う料理人の技や感覚と似ている」と中村さんは話す。「例えば、一流の料理人は、一個のたまねぎの、茶色の皮から中心部までのさまざまな成分、香り、甘さをよく理解し、その特徴を生かして様々な料理へと変化させていくでしょう。そういう技術力と想像力を杜氏として霧島で磨き上げていきたいのです。まずは米やサツマイモと向き合って仕込む、その過程を大切にしたい」中村さんの迷いは、挑戦へとつながっていた。

繊細かつ大胆な手業を大事にする。時には腕の感覚がなくなってしまうことも。

中村さんの道

中村さんにこれからの夢を聞いた。

「焼酎を世界の蒸留酒にしたい」「霧島から生まれたものを世界に羽ばたかせたい」
だが、「まだ道半ば。5合目にもいっていない。」と静かに語った。

焼酎は嗜好品であり、嗜好品ゆえに、これが正解というものはない、だからこそ、自分の理想や理念を大事にして挑戦し続けていきたい。

その挑戦の一つが、2021年、発売した「Amazing series”『STILL LIFE 2020』」。中村酒造場にある石造りの麹室に生息する「室付き麹」を使用し、この蔵でしか表現出来ない唯一無二の味わいを目指したものだ。さらにサツマイモの品種にハロウィンスイート(オレンジ芋)を使用した。

発売にあたり、中村さんは、“Amazing”は日常の中にこそあり、その中の一つ一つを取りこぼさないように、真っ直ぐ向き合った先にできたのが“Amazing series” と胸を張る。

焼酎の新しいカタチを目指すAmazing。エチケットに描かれているフルーツは、画家の今井麗さんが飲んだ印象をそのまま絵にしたとの事。フルーティで奥深い味わい。

霧島の大地と歴史に育まれた誇り高き焼酎文化を、生まれ育った霧島で、自分自身が感動できる焼酎を創ることで、挑み続ける中村さん。

焼酎を様々な国へ、地域へ、年代へ。そして様々なシチュエーションへ。
それが、めぐりめぐって誰かの笑顔や喜びになってくれたら。

中村さんが生きる道は、霧島を表現する焼酎を、あらゆる人々へ届ける道だ。


霧島の食と器

「鶏のごてやき」と「美の匠 ガラス工房 弟子丸 “薩摩切子の猪口”」

中村さんおすすめの飲み方は焼酎と水を5:5であらかじめ割っておく「前割り」。少なくとも前日、できれば4日くらい前から作っておき、飲む前に冷蔵庫で冷やすか、氷を入れる。それに合わせる一品は「鶏のごてやきやイノシシやシカなど」。「くせのある肉の風味を焼酎の香味成分が上手に包み込み、旨みを際だたせたのち、最後はきれいにリセットしてくれる。」と中村さん。

今回の器は、薩摩切子の猪口。霧島市国分に工房を構える「美の匠 ガラス工房 弟子丸」の作品。黄緑と水色のガラスを重ねる二色被せの技法を用いており、見る角度によって変化する色のグラデ―ションが楽しめる。


 


株式会社 美の匠 ガラス工房 弟子丸
住所:鹿児島県霧島市国分清水1丁目19-27
電話:0995-73-6522


取材・文
千葉しのぶ
NPO法人霧島食育研究会理事長、「植え方から食べ方まで」を実践する霧島里山自然学校、郷土料理伝承教室、「霧島・食の文化祭」を開催。鹿児島女子短期大学准教授を経て令和2年「千葉しのぶ鹿児島食文化スタジオ」を設立。管理栄養士

撮影
吉国明彦・吉国あかね(エンガワスタジオ)
※一部の写真を、中村さん(中村酒造場)より提供頂きました。(麹造りの様子、新商品"Amazing")
SCROL DOWN