きりしま食の道10カ条ブログ

-2- 「田んぼと畑に立つ生き方」

この地に生きる人の声に耳を傾ける
「もう一つの道」

遠くにあるもの、多くの人間が集まる場所が輝き、そこで競い勝つこと、人より優れていることで「幸せ」と感じる人の心理。

霧島でも、もっと効率よく、もっと便利にと都市化をめざし、この地に生きる人たちが連綿と紡いできた「在来の文化」は軽んじられ、特にその地域独自の生活文化・食文化は失われつつある。この地に生まれた子どもも都市社会の一員となるべく、経済発展をめざす道への教育を受けてきた。

しかし、時代は行き詰まり、都会も農村も家庭や個人も孤立し、その地で生きる喜びを感じにくくなった。失ったものは取り戻すことはできないが、もう一度自分の足元にあるものを見つめなおすことはできないか。改めて丁寧に見つめることで、「もう一つの道」を探していきたい。

このブログでは生きる源である食を中心に置き、「きりしま食の道10カ条」のテーマごとに、霧島に生きる人々の声に耳を傾け、その学びの中から、今を生きる私たちの拠りどころを見つけていきたい。


今回は、「きりしま食の道10カ条」の第2条である「天孫降臨の地である霧島の食のルーツを学び体験しよう」をテーマに考える。
【目次】
・インタビュー 「田んぼと畑に立つ生き方」 古江真二さん
・霧島  暮らしのレシピ 「親子丼」


きりしま食の道 第2条
−天孫降臨の地である霧島の食のルーツを学び体験しよう−

「田んぼと畑に立つ生き方」
     古江真二さん(霧島)

取材・文・料理   千葉しのぶ

霧島は、農耕神とも呼ばれるニニギノミコトゆかりの地である。
日本最古とされる水田も残り、米との繋がりも深い。
そんな霧島の食のルーツを、未来へつなぐヒントとは何か。

米離れが進むといわれる私たちの暮らしの中で、いま見直すべきこととは─

霧島の田んぼや畑で、子どもや大人たちと食農体験活動を続けてきた、古江真二さんを訪ねた。

天孫降臨と最古の水田

神話の時代の、「天孫降臨」伝説をご存知だろうか。高天原(タカマガハラ)の天照大神(アマテラスオオミカミ)の命を受けて、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂峰に降り立ったとされる伝説で霧島が日本建国神話の舞台であり日本発祥といわれる由縁だ。
また、霧島山の麓には瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作った日本最古の水田であり、妻である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を生んだときに名付けたとされる「狭名田の長田(さなだのおさだ)」がある。

神様と共に作る米

そして、日本人の米と神様とのつながりを示す言葉は、何を私たちに伝えてくれるのだろうか─

田植え前に山から降りてくる神を迎えることを「さおり」、田植え後、山に帰っていくことを「さのぼり」という。「さ」とは「神様」の意味。つまり人々は米作りの営みの中、常に神に見守られていることを意識していた。だからこそ秋の収穫後は新嘗祭(にいなめさい)として、神に新穀を捧げ感謝するのである。このことは、人間の欲望そのままに米をはじめとした他の生命を操るのではなく常に敬意と畏れをもって接することにつながっていたように思われる。

人の暮らしと田んぼがはなれていく

霧島は、米作りには向かないとされるシラス台地の中で、台風の常襲・水害・水不足と自然の脅威を受けつつも必死に水路を築き米を作り続けてきた。
しかし、時を経て現在、霧島市の耕作面積はここ15年においても12%減少し、総農家数は平成17年時の約5900戸が、10年で約2000戸も減り、その後も減少の一途をたどっている。また、人々の食卓での米離れは進み、50年前に比べ現在の消費量は半減し、1日平均約140ℊ、飯にしておよそ2杯となっている。日本の主食といわれながら、1食あたり1杯も米を食べない食生活を営んでいる。

植え方から食べ方までを学ぶ

そんな中、NPO法人霧島食育研究会は、霧島山のふもと3000坪の敷地に約2反の田んぼをもち、食農体験「霧島畑んがっこ」を主催している。活動は5月の米の種まきから始まり、6月の田植え、その後の草取りや生き物の観察、10月の稲刈り、羽釜炊飯、餅つきと「植え方から食べ方まで」を学ぶものである。霧島市内外より幼児から中学生までの子ども達と親が毎月集まり活動している。その担当スタッフであり、日々田んぼの管理に従事するのが古江さんだ。

生き物に夢中の少年時代

古江さんは昭和34年生まれの60歳。愛知県で生まれ、オリーブ栽培で有名な香川県の小豆島で少年時代を過ごした。
「休みの日、川ではフナ・メダカ・ドジョウ・アユ、海ではハゼやカサゴ、山ではカブトムシをとることに夢中になりました。自然の中で生き物に触れあいながら、自分のペースで過ごすのが性にあっていると感じていました」。

この少年時代に、美しい自然環境を守りたい、という意識が芽生えた−

そんな古江さんが霧島に来たのは中学生の時。家族と共に両親の実家がある隼人に移住した。その後20代から40代までは家業の縫製工場で働いた。しかし安価な輸入品の影響でやむなく廃業することとなった。

自然の摂理に従った農業とは

その後、農薬に頼らない栽培法を実践する農業生産法人に就職することになったのは、「自然の摂理にあった作物の生産に興味があったから」と古江さん。

「米・大豆・麦・雑穀づくりは初めての体験でした。そこで気付いたのは、様々な生き物が織りなす生態系を大切にした農業は、収穫ばかりでなく、種をまき芽が出ること、草をとることにも喜びがあるということでした。そしてその喜びを皆と共有したいという思いが強くなりました」。

そのころ、発足したばかりのNPO法人霧島食育研究会の活動を知った。研究会が主催する大豆の収穫作業に参加し、霧島山を見渡す広大な畑で、秋の陽を背中に浴びながらめぐり棒や唐箕(とうみ)で一心に作業に精を出す親子の参加者を見て、農と食育を繋げ体験を通し食の大切さを伝えることに共感した。すぐに研究会に入り、「米」「大豆」の「植え方から食べ方まで」の食農体験講座の運営を担当することになった。

効率を最優先しない体験講座

運営の方法は試行錯誤だったが、16年経て「管理しない」「効率を優先させない」やり方に落ち着いた。

「田植えのときも、植える場所を指定し列を作り同じスピードで同じ間隔で植えるやり方はしません。型にはめず、自由に植えてもらう。きれいに植えなくていい、効率を最優先しなくていいと決めているのです」。

田んぼにはオタマジャクシ・タガメ・ヤゴ・ヘビ・カエル・イモリ・トンボなど多くの生き物が暮らしている。その中で、子どもたちの手で植えられたイネは、自由に葉を伸ばし、種子を充実させるが、時には気象状況や病気等で収穫が少ない時もある。結果は一つだけではない。

「体験を通して感じてもらいたいのは、米が自分の力で育つ力強さと、人の手ではどうにもならない自然の営みもあるということ。その命の営みをしっかりその目で感じ、手で触れてもらいたい」。

よりよく生きるための選択

現在、古江さんは、自分自身の生活も、鶏を中心とした環境に負荷を与えない暮らしの実践に取り組んでいる。

「自分で育てた米や野菜を餌にして鶏を育て採卵します。ふんも畑の肥料にする。畑や田んぼには、他所からできるだけ持ち込まず、他所へ持ち出さないようにしています。暮らしの中でも、できるだけごみを出さないように心掛けています」。

なぜ、環境に負荷をかけない暮らしを実践するのか。それは─受け継いできた自然や暮らしを、未来へつなぎたいから─

生計は農業に加え、直売所や造園業の手伝いなど。そんな暮らしの中で大切にしているのは、人とのつながりを楽しむことだという。これまでに、県内外から古江さんを訪ね、数カ月から1年程度、生活を共にしながら農業に取り組む若者もいた。今では、地域の自治会に入り、役員も任されている。そんなつながりの中で、喜びも困難も味わってきた。

「今は、しばらく旅に出てみたい。そして、いろいろとそこで経験したものを、また霧島に生かして恩返ししたい」と、明るく笑った。

あまい親子丼

最後に古江さん思い出の食べ物を聞いてみた。
「子どものころお袋がつくってくれた親子丼かな。小さいころは鶏肉が苦手で玉ねぎと卵だけで甘く味付けして食べさせてくれました」。
お母さんは、古江さんが幼いころから仕事づくめの日々の中、得意の洋裁を活かし、古江さんのシャツ・ズボン・上着に帽子まで手作りで整えた。当時、家計状況が厳しいこともあり、おやつはいつも手作りだった。一緒に台所に立ち、フライパンで作ったホットケーキのおいしさは今でも忘れられない。

古江さんの「道」

「天孫降臨」で神々が霧島に稲をもたらした霧島山の麓で、自ら田畑を耕しつつ食農体験活動に取り組む古江さんにとり、一番大切なのは「心に正直に道を選ぶ」こと。
農業だけで生活できない現実はあるが、農業を生産性だけでとらえ大量生産大量消費する暮らしから、この地域の自然の摂理を理解し、いかに持続可能な暮らしへ転換していくか、その実践を積み重ね、穏やかだが、ぶれない道を歩んでいる。
古江さんが選んだ道は「田んぼと畑に立ち生きていく道」だと思う。

古江さん(右)と筆者・千葉


霧島の食と器

「親子丼」

古江さんの心に残る食。食材は鶏肉と卵、玉ねぎ。シンプルだが、だしの味付け、鶏肉の火の通し方、卵の半熟加減など難しい。一皿で主食や主菜も兼ね、子どもから高齢者まで広く好まれる。

今回の器は隼人の隼風窯(はやせがま)の布目象嵌彩色(ぬのめぞうがんさいしき)の小どんぶり。隼人族が使用したとされる「隼人の盾」の文様を参考に窯主海江田建志氏がデザインしたもの。蚊帳を使用した独特の布目と歴史上の由来を持つ濃い赤と茶の色合いが、遥か古代のロマンを感じさせながら軽快で現代的な印象を放っている。


材料(1人分)

鶏もも肉 100ℊ、たまねぎ 50ℊ、卵 2個
かつおだし 50㏄、調味料(うす口醤油大さじ1.5、さとう大さじ1、本みりん大さじ1)
三つ葉  2,3本、ごはん 適量

作り方

  1. たまねぎは縦半分に切り、5~6mm幅の薄切りにする。鶏肉は2~3cm角に切る。
  2. かつおだしと調味料を合わせる。
  3. 親子丼用の鍋か小さい鍋に②を入れて中火で煮立てる。鶏肉とたまねぎを加える。煮立ったら弱めの中火にし、ふたをして鶏肉に火が通るまで1~2分間煮る。
  4. ふたを取って中火にし、溶いた卵の2/3量を回し入れてふたをする。約30秒間して卵が半熟状になったら、鍋の縁から残りの溶き卵を回し入れる。1分~1分30秒間煮てみつばを加え、火を止める。ふたをして好みの加減に蒸らす。
  5. 器にご飯を盛り、鍋の縁からすべらせるように④をよそう。

 


隼風窯
〒899-5106 鹿児島県霧島市隼人町内山田1-11-6
電話 0995-42-0403

取材・文・料理
千葉しのぶ
NPO法人霧島食育研究会理事長、「植え方から食べ方まで」を実践する霧島里山自然学校、郷土料理伝承教室、「霧島・食の文化祭」を開催。鹿児島女子短期大学准教授を経て令和2年「千葉しのぶ鹿児島食文化スタジオ」を設立。管理栄養士

撮影
吉国明彦・吉国あかね(エンガワスタジオ)

参考
農林水産関係市町別統計 平成17年、令和元年
2015年農林業センサス
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